長倉穣司 (トランペット奏者) Webサイト

3-(1) 余計な力の罪

例えばバテやすい(=耐久力がない)人は、このバズィングをはじめとした音出しの段階ですでに余計な力が入っていることがあります。余計な力が入っていると、音を出すための効率がすでに落ちているため、ここから音量を上げたり高音を吹こうとすることは、効率を無視して無理やり音を「作って」いくことになってしまいがちです。

音量を得るためには息の量を増やしますが、その空気圧に耐えるために唇に力を入れざるを得なくなります。また高い音を出すためには唇の細かい振動が必要になりますが、それをつくるために、やはり唇に力を入れざるをえなくなってしまうのです。

本来、唇はトランペットを吹くための器官ではありません。演奏による振動で、誰しも唇には大なり小なりの負担がかかりますが、力の入った唇で無理やり振動を得ようとすると、唇は余分にダメージを受けます。また、余計な力が入っていない状態に比べ、繊細に振動してくれない可能性が高まります。余計な力の入ったまま吹き続けると、炎症による腫れや痛みが、より短時間で出てきます。ひどければ粘膜が切れて傷ができ、すぐには回復しないほどのダメージを受けてしまうこともあります。繊細な振動が失われれば、もやは繊細な音楽表現や綺麗な音での演奏は出来ません。

これがいわゆるバテた状態です。唇に余計な力を入れて吹くことで、唇のダメージを助長し、短時間で演奏のできない状態になってしまうわけです。

大音量で演奏したりハイトーンを連続して吹いたりすれば、誰しも唇にダメージを受けます。*1 しかし、余計な力を入れず、最小限の力で効率よく吹けるようになるにつれ、受けるダメージは減少します。

上手な人ほど、下手な人に比べて力を使わずに=効率よく大音量やハイトーンを出しています。同じフレーズを同じように演奏しているのに、上手な人の方がより豊かにハイトーンが吹け、かつ耐久力がある、なんていうことがあるとすれば、そこが違うのです。決してどこかに超人的な筋力を備えていたり、桁はずれの肺活量であったりするわけではないのです。筋力にせよ肺活量にせよ、鍛えて向上させるには限りがあります。その鍛え方が超人的なのではなく、力の使い方が上手なのです。*2

しかし、必要最小限の力で吹けばよいことが頭でわかったからといって、誰もがすぐに力を使わずに大音量やハイトーンをバリバリ吹けるようになるわけではありません。そこはそれなりの訓練が必要です。

「必要最小限の力による吹き方」=「正しい力による楽な吹き方」により、鍛えられる部分があります。例えば、口の周りの筋肉などはその一つです。その部分が鍛えられた分だけ、音域や音量や耐久力が向上するのです。その部分がどこの何という名前の筋肉であるということを限定するのは困難ですし、仮にそれを示せてもその筋肉だけを鍛えることは事実上不可能です。(人間の体は特定の筋肉のみを単独で鍛えられるようにはできていません。)そして、それは「正しい力による楽な吹き方」以外の方法では鍛えることができないのです。

例えば、楽器歴の長い人は短い人に比べ、これまでの奏法で身につけてきた筋力が応用され、より早く「必要最小限の力による吹き方」を習得できる可能性があります。しかし、それがどのくらいの時間なのかについては、個人差があります。すぐにできてしまう天才肌の人もいれば、何か月も何年もかかる人もいるでしょう。ここは腰を据えて、信念を持って取り組むことが大事です。

*1 ハイトーンや大音量の練習
スポーツにおいても極端な運動は体を壊す結果になる。トランペットにおいても無理に行うハイトーンや大音量の練習は唇を痛めることになる。

*2
強靭な筋力や大肺活量や過酷な練習量が上達の条件だとすると、筋肉の発達した大男は全員一流プレイヤーとなってしまう。

トランペットイメージ