私は長倉先生に出会ったころ29年位ラッパを吹いていました。アマチュアの吹奏楽団とオーケストラに所属していました。当時は、ある武蔵野音大の先生にレッスンを受けていました。 ラッパはとても悩んでいました。吹こうとしても音がパッと出ないことが多かったです。
大きな音は自信がありましたが、耐久力や小さな音には自信がありませんでした。ファーストを吹く機会も多く、ちょうど吹奏楽団ではカルメンの長いソロを任されていました。またオーケストラでは木星の1番をやる、というところでした。
当時は、1音でも高い音を目指し、また少しでも大きな音を目指していました。太い音にしようと、口の中はなるべく大きくして、詰まったような音にならないようになるべくアパチュアを大きくしていました。当然その状態を支えるため、スピードの早い、太い息をガンガン出していました。
音が出なければ出ないほど、息をさらに強く大きくし、アパチュアを大きくして……ということを繰り返していました。
そのような早くて膨大な息を支えるためのアンブッシュアは口の回りの筋肉をガッチリ固めるように努力していました。
それらを支える息を吸うためブレスも研究して、瞬時にたくさんの息を吸えるように考えていました。
ラッパを吹くことはとても大変で疲れました。あまりに強い息を出し過ぎて、合奏終了時は頭が痛くなることもありました。ものすごく振動しない物に無理やり息を当てているような感じです。
体から力を抜くことも考えていました。ラッパの持ち方も研究して、ラッパの重心をほぼ左手人差し指一本で支えるようにしていました。体からは力が抜けても音はバサバサで、音から力は抜けていませんでした。 姿勢は体を椅子の背もたれにもたれさせて、ベルが上を向くようにしていました。ラッパを口に当てる角度が下向きなためです。出っ歯なためしょうがないと思っていました。
エリックやファーガソンのCDを聞いて、「この演奏はとんでもなく強靭な唇と口の回りの筋肉、もの凄い量の息を瞬時に吸えるブレス、とてつもなく早いスピードの息、大きなアパチュアから、凄い太い息をを出している。」と、思っていました。
また演奏会用のデモCDなどを聞いて、その全体の演奏をそのまま吹こうと思っていました。
合奏で、よく思ったことは、「何故、みんなはそんなしょぼい音で吹いているんだ。こんなに迫力のある所じゃないか。しょうがないな、自分だけでも、ばかデカク吹かないとだめだ。」なんて思っていました。
ウォーミングアップは、当時はたいしてやらなくても突然音が出るので、意味がないと思っていました。
耐久力はほとんどありませんでした。ワンフレーズでだめになることもありました。耐久力は毎日吹いて筋肉を鍛えないとだめだと思っていました。
調子は毎日めまぐるしく変わりました。体調や体のむくみなども影響するのではないかと考えて、本番前寝る時はなるべく頭を高くして寝るようにしたりしていました。そうすることにより、朝に顔がむくむことを避けていました。顔のむくみは口のむくみで、振動を阻害するものと考えたのです。
また、練習方法は、楽譜をいろいろ分解して行う方法は知っていたものの、「出来ない所は、死ぬほど繰り返し練習するしかない」と思っていました。
演奏中いろんな難しい所を吹けるかどうかは、ある意味確立の問題でした。その確立を上げるため曲を何度も練習していました。ミストーンは避けられないものだと思っていました。
男性で力があってハイトーンや力強い演奏を目指している方は私と同じ考えのところはありませんか?一箇所でも…
さて、その後私はどうなったでしょうか?
演奏会に向けてさらに上手になろうと日々努力をしていました。でも、音がすぐにスタートしない症状は悪くなるばかりでした。
カルメンと木星の本番は近づいています。曲は暗譜するほど練習しました。でも心は晴れませんでした。昔は自由に吹けたマウスピースは、まったく音がでなくなり、調子の波はひどくなるばかりでした。当時、私は「ラッパ吹けない病にかかっている」と言っていました。
そんな時の12月のある日、たまたま他のアンサンブル団体との忘年会に出席しました。その時プロの方も何人かいらっしゃっていました。たまたま座った席の隣の人は、「○○フィルでトランペットを吹いている○○先生という人だよ。」と友達に教えてもらいました。その人に何の気なしに
「最近、マウスピースも吹けなくて。。」などと、話していた時、その人が言った言葉で、次の2つのことが、とても気掛かりになりました。
「ほんのちょっとの息でも敏感に反応する唇を作ればよい。」
「あなたは音が出るまで待っていますか?」
その時は、その人の名前も覚えていないくらいでした。
そのことが気になった私は、すぐに翌日からマウスピースを吹いてみました。ほんの2~3年前まではマウスピースで自由に大きな音で曲を吹けたはずでした。しかし、まったく音がでません。<・p>
とにかくちょっとした息でも音が出るように、工夫しようとちょっとずつマウスピースを吹いていました。
3月のカルメンは近づいていました。4月の木星も。調子の波はさらに大きくなっていました。
マウスピースで始めたことは一瞬は音がでるものの、ロングトーンは出来ませんでした。ラッパで吹くとB♭(実音、第3線)さえパッと音が出なく吹奏楽の合奏ではチューニングさえ、まともに出来ない状態でした。
3月のカルメンの本番当日のステリハは、なんとかいい出来でした。心配はありませんでした。
しかし、本番1部が始まって間もなくどんどん調子が悪くなり、曲順が進んで1部終了時にはまったく吹けない状態になりました。吹けば吹くほど無理をしているため、唇の振動は失われ、さらに力を使い、さらに無理をして、もっと振動しなくなるという悪循環です。この「吹けない状態」というのはラッパ以外の人の為に解説しますと、「ちょっと調子が悪い」という生易しいものではありません。「まったく唇が振動しない」つまり「無音」の状態です。「プス」とも言わない状態です。
2部がはじまりました。カルメンのみの部です。最悪の状態でもなんとか切り抜けるつもりでしたが、事態は凄惨な状態となりました。ソロをはじめて、少しはなんとか吹いたものの、もう全然音が出なくなりました。途中からかまえているだけの状態です。もう最後はかまえるのもやめました。2部が終わるまでステージから去ることもできないのです。ソロがないために影響が合奏全体に伝わっているのがわかります。しかし、もはや何も出来ません。その後3部もステージには行きました。運営にもかかわっているので、受付撤収や打上にも行きました。本当はショックですぐに家に帰りたい状態でしたが。。その後のオケの木星やその他の6月にあった本番も似たようなものです。無音にこそならなかったけど、ひどいものです。
私はプロの演奏家ではありません。アマチュアで趣味で週末練習して年1回くらいの演奏会に出るという楽しみ方です。その楽しみが、何故かとんでもない心のキズを負うとともに、すごい苦しみに変わってしまったのです。そんなヒドイことってあるでしょうか。
もう29年やったラッパはやめようかと思っていたころ、楽器屋の友達から忘年会で隣に座っていた先生のレッスンを勧められました。私が12月から「忘れられない」と言っていたからだと思います。そして6月に長倉先生のレッスンを受けたのです。
6月にレッスンを受けてしばらくは、吹奏楽で言うチューニングのB♭より上は吹けませんでした。いえ、前の筋肉による吹き方なら吹けました。でも、もう前の吹き方はいっさいやりませんでした。 10月のオケの定演はシベ2だったのですが、6月から2カ月くらいは合奏中も高い音はすべてオクターブ下で吹いていました。なにせHighAがたくさん出てくる曲です。前の筋肉の吹き方なら、HighAなどなんなく吹けましたが、そんな筋肉の吹き方などは絶対やりませんでした。
合奏中にオクターブ落として吹いても、意外と大きな問題は起こりませんでした。むしろひどい音で楽譜どおりのハイトーンを吹くことの方が問題なのでしょう。
レッスンの効果は急激に出始めました。いろんなことが出来るようになりました。特に音色はとてもよくなりました。長倉先生も「結局、トランペットは音色ですよ。」と言います。高い音でも大きな音でもありませんでした。
音はすぐにスタートするようになりました。むしろ前よりもかなり俊敏に。ラッパで、「音の出だし」は重要です。「音の出だし」はラッパらしい音かどうかを決める、かなりの部分を占めていると思います。
吹くのは考えられないくらい楽になりました。今まで出来なかったことは、簡単になりました。
例として、ただの音階をスラーで早く上がったり降りたりするようなことを、奇麗に出来るようになりました。いや、むしろ前は、そんなことすら出来なかったのです。汚くは出来ましたが…
10月のシベ2は、ほぼ思いどおりに吹けました。今まででは考えられない程よい音色で。長く吹くことも簡単でした。今までの耐久力という考えはなくなりました。わかってみると筋肉的耐久力は関係ありませんでした。
調子の波はまったくなくなりました。調子の悪いことはないのです。筋肉を使った無理な吹き方をすると、調子が崩れます。「体のむくみ」なんて、調子とは無縁のものでした。
ブレスは、前の状態から考えると何もしていないに等しいくらに楽になりました。日常の呼吸程度でほぼ吹けると感じます。長いフレーズの時は大きく吸うといった具合です。
口の回りの筋肉のことを考えることもなくなりました。力はそこからも抜けました。そして音からも。ラッパを口に当てる角度はたいして問題にはならなくなりました。アパチュアが小さいため影響がないのです。確率的に起こるミストーンはなくなりました。本当に間違った時しか、間違わなくなりました。同時にピッチもよくなりました。力が抜けるとラッパ自体のピッチが出てくるように思います。チューニング管の1ミリの抜き差しも分かるようになりました。
「ただ何回も通して暗譜するほどの練習」は、あまり意味がなくなりました。現在の理想の状態では吹けない所、つまり、前の筋肉の吹き方で吹いてしまっているところだけ練習すれば、その曲全体が楽になりました。長倉先生曰く、「力ではなく技」だそうです。
しかも、これらのことは無理をして、苛酷な練習をして出来たものではないのです。考えを変え、今までの筋肉での吹き方をやめたのです。リセットしたのです。きっと本来ラッパとはそういう楽な楽器なのです。 ラッパを吹くことは楽しくてたまらなくなりました。ついに「ラッパ吹けない病」は回復したのです。
楽になってみると、いい音でアンサンブルすることが気持ちよくなりました。今までのCDを聞いたまま演奏する独りよがりな吹き方は間違いであることに気が付きました。
最小限の力の使い方が分かると、テコの原理で、小さな力でピアノからフォルテまでの音量や、音の出だし、デクレッシェンドなどなど、いろんなことが簡単に奇麗にできることが、わかりました。音楽表現も簡単になりました。クラシックでもジャズでも。もっとも、それは音楽表現をするためのスタートラインについただけでした。
長倉先生のレッスンから1年、自分の物として定着するように練習しました。いえ、考え方を変えて、合奏前の30分のウォーミングアップを変えただけです。
他の人から「毎日吹いているからそういうことが出来る。」と言われますが、当時は毎日吹いた覚えはありません。血のにじむような反復練習をしたわけではありません。「力ではなく技」に「考え方をまったく変える」ことと「それを行う」ことをやっただけでした。ちょうど「口笛を吹く」コツをつかむような、「指をならす」コツをつかむような、そんなことに似ています。
そしてそれは教えられたウォーミングアップの楽譜だけやっていたわけではないのです。それらの考えをラッパを吹くときの全てに応用して行きました。「力ではなく技」に、「考え方を変えて」行きました。リセットです。
長倉先生からは、「宗教でもなんでもありません。事実ですからみんなに広めてください。」と言われていました。レッスンから1年後、回りのみんなにも広めてみました。もちろん、そのためには自分が出来ないと話にならなかったのです。
その後はラッパを吹くことが楽しくてしょうがないため、毎日吹いても問題なくなりました。もちろん、まだ出来ないことはたくさんあります。キッカケをつかんだだけ、と思っています。そうです、その時私は30年間ラッパを吹いていることになったのですが、本当の吹き方でラッパを吹き始めたのは、その1年からだったのです。
ここまで読んだ方。自分の吹き方の中に前の私のような筋肉で吹く考え方が、少しでも入っていませんか?筋肉で吹くことを毎回毎回、繰り返し練習して、その悪い癖を自分の体に覚え込ませていませんか?それを継続すると、最終到達地点は私のような悲惨な結果が待っているだけです。
力に頼っていると、年齢とともに体力が落ちた一瞬を狙って「ラッパ吹けない病」は突如発病します。今こそ自分の吹き方を、見つめ直して下さい。楽しいラッパのために。